Styleseasonとは

はじめまして

大人のお洒落と心躍る暮らしをスタイリングするマチュアスタイリスト黒滝伊都子です。
アマチュア…ではありません。マチュア(成熟した 大人の)スタイリストです。
神奈川県在住 現在50代。
二人の息子は社会人になり、夫と夫の母と二世帯住宅で同居しています。

大人が元気に輝いている社会は、若い世代にも子供達にも良い影響を与えると思います。
人生100年時代と言われている昨今。じっと受け身で毎日を過ごすには長すぎます。
少子化の子供達に私達の生活や心のよりどころまで、全てを担わせるには負担がかかり過ぎですよね。
元気に美しく、ちょっとくたびれていたとしても出来る限り、いつまでも輝いていたいものです。

これからは若い人達よりマチュア世代がずっとずっと多くなるわけです。ということは、マチュア世代が元気なら、世の中明るくなると思いませんか?
そのためには生き甲斐もお金も必要です。生き甲斐か?お金か?どちらか選ぶというより、自分の才能を生かして世の中の役に立ち、自分の暮らしも心も豊かに過ごすことが出来たら素敵です。

私は、お洒落な装いや心地よい部屋づくりをきっかけにして、みなさまそれぞれのライフワークを見つけるお手伝いが出来たらいいなと思い、Style Seasonという屋号で活動しています。
今回は、ご挨拶に変えて、私がなぜそのような活動を始めたのか、私自身についてお話したいと思います。

どうぞお付き合い下さいね。

10年前みなさまはどうしていましたか?

ちょっと恥ずかしい画像で失礼しました!
10年前の私です。

10年前、みなさまはどうしていましたか?
50代なら40代。40代なら30代 (若い!)

私は現在50代なので10年前は40代。10年前となると写真を見比べてもけっこう若い!当時はあちらこちらに衰えを感じていましたけれどもね。今思い返すと若いです!
それでもです!顎のラインがまだそんなにたるんでいないし、髪もふんわりしているし、心なしか肌も張りがあるような…
それでもそれでもです!!私は10年前の自分より今の自分が好きです!今の暮らしが好きです!
今私がなぜそう思うのか…お話ししたいと思います。

空の巣症候群に備えて…

40代になった私は、二人の息子も大分手が離れ、週に3日音楽教室でピアノを教える仕事だけでは時間を持て余し、ダブルワークで音楽とは全く違う仕事を始めました。ダンスや朗読などの習い事も精力的にやり、それはそれは動き回っておりました。40代にして自分探しをしていた頃です。

なぜか?

きっかけは、二男が中学生になり、部活で夕方まで帰って来なかったからなんです。小学生までは3時くらいには一度帰ってきますよね。そのつもりで仕事に行かない日には、3時くらいから知らず知らずに待ちの体勢に入っていたのです。なのに、6時過ぎまで帰ってこない!
「こんな待っている私ではダメだ!子供はどんどん成長していくのだから私は私で新しい自分を見つけよう!」夕暮れ時、次第に暗くなっていく部屋でひとり、こう思ったのです。

それが自分探しの始まりでした。

私は大学を卒業後すぐに結婚。夫の実家で暮らし始めました。
会社勤めはせず、車で30分位の楽器店で週に3日ピアノの先生をしていました。比較的すぐに長男が、3年後に二男が生まれたので、夫や私の実家に助けてもらいながら子育てをし、仕事も続けていました。
同居の両親と近くの実家…恵まれた環境でした。

この頃から私は徐々に変貌をとげていきました。

私は3人姉妹の末っ子でのんびり育っています。しかも姉たちと年が離れていたので「人にしてもらうのは当たり前」なところがありました。小学校の卒業制作で校庭に穴を掘っていた時、「姫の穴掘りだな」と担任の先生から言われました。姫でも何でもないのですが、ダイナミックさに大いに欠けていたのでしょう。

そんな、シャベルもろくに使えなかった私が二人の男の子の母になりました。

男の子ってどうしてあんなに走るのでしょう?!二男を小脇に抱え、全力で走る長男を追いかける追いかける…「何でああいう行動を取るのか?」わけがわからなかった私は先輩ママに相談しました。

その先輩ママは、よく考え、楽しい工夫をしながら子育てをされていました。
「子育てってあんなに考えながら工夫するモノなのね!」
対策を考える必要が起こった時、ママ友や書籍、時にはピアノ教室に来ている子供達からリサーチをし、考えがまとまったら即実行!そうこうしているうちに何だかそれが心地よくなってきたのです。

「私の性分にはこれ合ってるかも」
世間一般的にはまだのんびりした所はありますが、元々の素養もあったのでしょう。行動や考え方、性格までもが変貌をとげていきました。

二男が小学校に上がった秋、実家の母を見送りました。

もう子供達を自宅に置いて仕事に行っても大丈夫な年頃まで、母はずいぶん協力してくれました。本当にありがたかった。

その後も、第二の実家のように居心地の良い楽器店で仕事をしていましたが、オーナー夫妻が「年を取ってきたので店を縮小したい」と、徐々に生徒さんを少なくして、数年後にはお店をたたむ方向で考えているようでした。この時期と、40代になり、私個人も「このままではいけない!」と危機感を持った時期が重なりました。
変貌した私はたった1日で、部活帰りの息子をじっと待っている自分に我慢できなかったのです。

人生二毛作

「人生二毛作」を提唱しているのは「思考の整理学」の外山 滋比古さん。

【サラリーマンの定年が60歳。50代で人生の後半戦の作付けの種を決める】

とすると、私達母親は子育ての手が離れるか離れないかの時期が、これに当たるのではないでしょうか?40歳を過ぎて焦りを感じた私は、どんな種を作付けしようか?地ならしをしながら試していきました。
色々な仕事をしてきましたが、若い頃、会社勤めをしなかったので、社会的な自己価値認識がもともと低く「ピアノの先生なんて一般社会ではなんのキャリアにもならない!」と、面接の時にやんわり言われたこともあります。

実際に仕事をしてみると、事務仕事など事務用品の使い方からわかりませんでした。でも、職場の人に恵まれたのがラッキーでした。小さな事でも、出来なかったことが出来るようになる楽しさをたくさん味わいました。子育てや家事でも、日々経験をして嬉しいこともたくさんあるのですが、仕事において出来ることが増えていくことは、直接評価され、自分でも結果が認識しやすいので、やはりやりがいがあります。
キャリアを積んできた方に比べると単調な仕事だと思いますが、その時の私はやる気満々で仕事も趣味も充実していました。

やがて迎えた50代。「10年後どうしていたいかな?」と、ふと思いました。家でのんびりは性に合わなくなっていました。いくつになっても人生を楽しみながら仕事もしていたい!この辺りから「起業」という文字が心の中で大きくなって行きました。

人生の後半戦を豊かにする仕事ですから、やっていてわくわくすることがいいですよね!本当に遅まきながらここにたどり着いたのですが、今までの年月は私にとってここにたどり着くのに必要な年月だったのです。

10年前より今が好き!

なぜ仕事をしたいか?

厳選した欲しいモノは手に入れたいし、住まいも快適にしたい。美味しいモノも少しだけほしいし、お洒落もしていたい。それに夫とウィーンを行ったり来たりしたい!
こんなささやか(?)な欲望はありますが…

この年になったら、自分だけではなく、私に関わってくれたみなさんがイキイキと輝く何かをしたい!さらには間接的にも、どこかの誰かの瞳が輝くような何かをしたい!それを今の私だからこそできることで…
だから、わくわくしている今の自分が、10年前の若い自分より好きなのです!10年前、自分が嫌いだったわけではありません。ただ、見過ごしてしまうような小さな事でも、昨日は知らなかったことを今日は知っている自分の変化を感じ、それを面白がってきた…その積み重ねの上にいる今の自分の事をけっこう気に入っているのです。
では何をする?
そこで始めたのがイメージコンサルタントとルームスタイリスト。
なぜこれらを選んだか?

大好きなことを仕事にする

10年前より今が好きと思える10年間を過ごし、10年前より今が好きと思える10年後を目指したい!
私が、私と関わってくれるみなさんが、さらには直接関わりはないどこかの誰かがそう思えるような何かをしたい!

そこで始めたのがイメージコンサルタント

アパレル経験がない私がなぜイメージコンサルタントを目指したか?その馴れ初めをお話ししたいと思います。


姪っ子作のクロスステッチ
グラフィック社「パリのアトリエで綴るクロスステッチ」より ヴェロニク・アンジャンジェの図案

感性のルーツは母

私は洋裁、和裁、手芸全てに堪能で、お洒落だった母の影響を受けて育ちました。ベビー服から遊び着、ピアノの発表会用のワンピース、バレエの発表会用の衣装、振り袖、ウエディングドレス、マタニティドレスまでずっと母のお手製でした。


母が洋服のポケットに刺してくれた刺繍

カラー診断も骨格診断もありませんでしたが、母は経験値で似合うモノがわかっていたようです。お手製の洋服を着ているとよく人からほめられました。同じモノを作って欲しいと言われることも多かったようです。そんなこともあり、一時期洋装店をしていました。

「今度はこんな色でこんなデザインの洋服を作ってほしいなぁ」と、いつもいつもスタイルブックをながめている子供でした。

今のように既製品の種類も多くなかったので、なかなか気に入ったモノが見つからない時代です。母と一緒によく渋谷の生地屋さんに行きました。洋服生地の色、刺繍糸の色、毛糸の色、着物の反物の色…色とりどりの素材に囲まれて、それが形になっていく魔法のような母の手に、わくわくしていた少女時代でした。

おしゃべりで好奇心旺盛。文学少女がそのまま大きくなったような母。人が行った旅行でも興味津々で地図を開き、一緒に旅をしているようにその道を地図で辿ります。
美術館や映画、舞台にも訳がわからない幼い時から連れて行かれました。私はテレビの続きを見たい日もあったのだけれど…

私の感性の基礎は、母の影響を多大に受けてつくられています。

ちなみに父は、ふんだんに本を与えてくれました。それはもう、頼んだ以上に関連本までたくさん買ってきてくれるのです。本を読むことと本を買うことが好きだったのですね。母が亡くなった後、仏壇には母が好きだった作家の新刊本がよく供えられていました。
私の本棚には読んでいない本も結構ありました。それでも本は知らない世界をたくさん見せてくれました。科学的な素養は全く育ちませんでしたが、本好きでポジティブな両親が私のルーツです。

カラー・ミー・ビューティフル

私は手芸が好きです。
が、長男が小さい時、息子の好きな車を編み込んだセーターを編み、着せた途端に芝生を転がって芝だらけにして以来、ずっと遠ざかっています。

洋裁はしません。和裁も出来ません。絵も他人様に見せられたモノではありません。そういう意味で、洋服は大好きだけれど洋服に関わる仕事というのは選択肢にありませんでした。

結婚後しばらくして、やっと母から独り立ちし自分で洋服を買うようになりました。既製服も種類が増え、色だしもお洒落になっていました。この色が迷うのですよね。どれもほしくなってしまう。
息子ばかりで、残念ながら娘の洋服は選べなかったので、効率的で気持ちもあがる自分のワードローブ作りをずっと考えていました。

その時の指南役は「ヴァンテーヌ」というファッション雑誌です。現在活躍しているベテランスタイリストさんもこの雑誌の影響を受けている方がけっこういらっしゃいます。色使い、小物使いなど多くのことをこの雑誌で学びました。

その頃、もう20数年前になりますが

「カラー・ミー ・ビューティフル」
(キャロル・ジャクソン 佐藤泰子著)

という本に出会いました。

【あなたをより美しくする色がわかる本。春、夏、秋、冬のどのグループに属するか自己診断し、タイプに応じたファッション、メークアップ、ヘアスタイル、アクセサリーなどを紹介していきます】

「これだ!」と思いました。

是非診断を受けて、これが仕事にならないか考えてみようと思いました。息子達がまだ小さかったのですが、この30代の時期も「子供が小さくても何かしたい」「何か学びたい」「子供の手が離れた時に跳べるような準備をしたい」と探っている時代でした。自己啓発本ばかり読んでいましたね。

実際に診断を受けたところ、診断結果は「オータム」
母が私に作ってくれた洋服はほとんどがこのオータムカラー。納得の診断でした。

ただ、「この口紅一本あれば他には何もいらない」という言葉に「?」と思ったのです。

確かに似合う色の口紅でした。でも私は様々な色に囲まれて成長してきたので、様々な色が好きです。嫌いな色はありません。何だか選択を狭められるような気がして、「何か違うな」と、しばらくの間忙しい日常に取り紛れて考えなくなっていました。まだまだ日本でその理論が確立していなかったんですね。

骨格診断

子供達も成長したある時、カラー診断だけではなく、骨格診断というモノがあると知りました。早速診断を受けに行きました。カラー診断はやはり「オータム」。骨格診断は「ストレート」。カラー診断も以前より柔軟になっていて、なるほど!と納得。買い物に迷いがなくなりました。
「似合う」要素は色だけでなく、形や素材にもあるのだと知り、これは素晴らしい!と思いました。

「自分のタイプだけでなく他のタイプも全部知りたい」と思い、スクールに通いました。パーソナルカラースタイリスト、骨格診断スタイリスト、カラーセラピスト、色々学んで卒業しました。以前よりずっとわかりやすい理論になっていました。学んだスクールのカラータイプの分け方がとてもわかりやすく、「診断はカテゴリー分けではなく、ただ軸を知るため。大切なのは、その後、ひとりひとりの個性と想いに寄り添うこと」と教えて頂きました。なので、非常に考え方が柔軟でした。
でも今ひとつ、仕事にする…というにはまだ腰があがりません。「やりたい!」と思うと行動は早いほうです。腰があがらない時は「何かしっくりしないことがある」「今その時!ではない」と、私の中の何かが感じている時だと思うのです。

しっくりしない理由は、納得の診断結果だったのですが、確かにスタイルアップするのだけれど…骨格診断ストレートの人が似合う洋服を着ても心が浮き立たない。寂しく見える。自分に迷いがあるから人にも熱意を持って伝えられない。

顔タイプ診断

タイミング良く、メイクレッスンに通っていた先生が顔タイプ診断というオリジナル理論を作り、スクールを開きました。骨格診断ストレートの洋服は私の身体には合っているけれど、顔には合っていなかったのです。違和感の理由がわかり、ピタッとピースがはまった音がしました。洋服は好きだったので、いつもアンテナを張って情報は取り入れていましたが、その時何となく感覚的に感じていたことが理論的に説明できるようになったのです。

そのスクールにはショッピング同行の授業もありました。これがまた、スクールで学んできた理論が実践で良く分かるのです。その時にモデルで来てくれた友人は、会う度に「伊都子さんが薦めてくれたあれがとても気に入っていて」と喜んでくれています。それが嬉しくて、楽しくて…
人生の後半戦を彩る仕事として、大好きな洋服に関わることをしよう!と気持ちを強くしました。

これが、私とイメージコンサルタントという仕事との、交わりそうで交わらなかった長きにわたる馴れ初めです。

時を忘れるほど好きなこと

ショッピング同行の時は、事前にご要望を伺いカウンセリングをして、まず私だけで下見に行きます。その方に合わせてショップの洋服を探し、ピックアップしておくのです。その時はたぶんその方のご主人よりその方のことを考えているのではないか?というくらい頭がいっぱいになります。

ショッピングセラピーと言う言葉がありますが、始めは試着するのに抵抗感があったり、鏡で自分の姿をよく見られなかったりしていた方が、だんだん晴れ晴れとしてきて、内側から輝いてきます。

お家のクローゼットをショップに見立ててのコーディネート提案の時も、着画を撮らせて頂きますが、どんどん自信のある顔つきに変わっていくのがわかります。
この時間を共有できるのはとても幸せなことです。

ショップの洋服を見たり、コーディネートを考えたり、試着を出迎えたり、雑誌でコラージュを作ったり、輝きの瞬間を見られたりすることは、寝食を忘れるほど好きなことです。

この、時を忘れるほど好きなことを仕事にしました。

みなさまの大好きなことは何ですか?
わくわくして時を忘れる事はありますか?

当たり前にやっていたことを仕事にする

10年前より今が好きと思える10年間を過ごし、10年前より今が好きと思える10年後を目指したい!
私が、私と関わってくれるみなさんが、さらには直接関わりはないどこかの誰かがそう思えるような何かをしたい!

そこでもうひとつ始めたのがルームスタイリスト

ルームスタイリストプロや整理収納アドバイザー。
なぜ部屋づくりに関する資格を取って仕事にしようと思ったのか?今度はその馴れ初めをお話ししたいと思います。

人生の棚卸し

ルームスタイリストの講座を受けたきっかけは、仕事に活かせそうだったからです。部屋づくりにどうしてもついて回るお片付けの整理収納アドバイザー1級資格も取りました。仕事というのは不動産関係の仕事です。現在も主にマンションにお住まいの方向けのお客様対応、セミナーや相談会を行ったりしています。

ルームスタイリストプロの講座の中で、住まいに関する事を中心に人生の棚卸しをしました。同期で学んだ仲間の中には、子供の頃から間取りを見るとわくわくしていたという「マドリスト」が多かったけれど、私は普通に好きという程度でした。バービー人形に夢中で、ファニチャー類も揃えてバービーの部屋を作っていたけれど、圧倒的にドレスの方に興味がありました。

でも、結婚して夫の家族と二世帯住宅に住むことになった時から「家族にとっても自分にとっても居心地の良い部屋」を意識するようになったのです。

この時の棚卸しをみんなでシェアしたところ、当たり前にやってきたことが、実は当たり前ではなく自分の才能なのかもしれない…と、メンバーそれぞれが気付きました。当たり前に人も同じ事をやっているのだろうと思っていたら、部屋づくりのやり方も考え方も本当に十人十色。私は、家族間の問題解決のために模様替えを繰り返してきました。

私の部屋づくりの考え方を少しご披露しますね。

二世帯住宅

新婚でふたりの住まいを買ったり借りたりする場合は「将来家を建てたい」とか「マンションを買おう」とか思うんではないでしょうか?

私の場合、夫は転勤族ではありませんし、余程の変化がない限り「ずっとこの家に住むんだな」と思いました。理想の家を思い描くというより「今ある部屋をどうやって私の居心地の良い空間にするか?」ということに興味が向いたのです。

二世帯住宅は1階が夫の家族、2階は私達夫婦のスペース。
結婚する2年前にそれまで夫家族が住んでいた家を引っ越すことになり、結婚することは決まっているのだからと、キッチンは別々、玄関と浴室は共用の二世帯住宅を夫の両親が建ててくれたのです。夫は就職したばかり、まだ私は学生でしたから、よく迷いなく建ててくれたなぁと思います。

ということは、結婚するまでの2年の間、当然のことながら夫や夫の家族の好みが満載になっていたわけです。そこに何十年も住むのだから、私の好みの居心地良いと感じる空間もほしい。それには工夫が必要でした。

象徴的なのは、2階に上がる階段の入り口にビーズの暖簾がかかっていたこと。昔のドラマで同じ光景がありましたが、私の好みとは違いましたし、物を持って通る時に邪魔になり「どうしたものか?」と思っていました。でも、すでにかかっているモノを取り外すというのは難しいものです。階段の入り口は共用部のような所。私の一存では何も出来ません。
そこで自分の気持ちと現実に折り合いを付ける必要が出てきます。

三人姉妹の末っ子。人にやってもらうのは当たり前なところがあった私が、長男の嫁になり、キッチンは別々でしたが一応同居の形で夫の実家に入ったのです。嫁だから…同居だから…仕方がない…我慢しよう…では自分が自分を納得させられません。そのため小さな事でも、どうでもいいようなことでも自問自答して自分に折り合いを付けてきました。
この場合は「せめてキラキラビーズの暖簾ではなくて木製のビーズで良かったな」と思うことにしました。結果は「あきらめ」と同じでも、一度自問自答することで自分の意志に変わるのです。
因み、に今も変わらず暖簾はかかっています。もう、なくては寂しいくらいに愛着が湧いてきました。

同じように夫婦のスペースも、夫はオーディオなどの機械類が好きで、配線だらけの無機質な部屋でした。少しずつ折り合いを付けながら二人の好みの空間を作っていきました。収納場所も少なかったし、可愛らしいキッチンだったので、物を厳選して工夫して収納することも覚えました。

空間の距離感と家族の距離感

子供が生まれると、小さいうちは家族が寄り添うように近くで生活していますよね。だんだん大きくなると、仕事から帰って自分の時間を持ちたい静寂を愛する夫と子供達のニーズがぶつかります。

そこで居間を二つ作ることにしました。そして夫にはそのうちのひと部屋に籠もってもらうことにしたのです。
夫の好きな物を集めた部屋。知らないうちに少しずつ増えていくスピーカー。トレーディングルーム?と見まごうばかりのパソコンのモニター。インドア派の夫は今も籠もって趣味に没頭しています。

この部屋は実質的には夫婦の部屋です。私のピアノが置いてあり、音楽室と客間も兼用していました。広いリビングとして作った部屋なので、夫だけの居室には出来ません。当時子供達もピアノを弾きに来たり、映画を観たりはするけれど、気軽には入りにくい大人の空間でした。

もうひとつの居間は和室です。家族で食事をし、子供達が思う存分遊ぶ部屋です。食事の間は父親が一緒なのでちょっと緊張して食べることに専念します。(夫は優しい人ですが、息子達には厳しかった!)父親が部屋に引き上げると、二人でふざけ合いにぎやかにしていました。

「小さい子供が騒ぐのは当たり前。父親になったのだからそのくらい我慢して、子供の成長を間近に見ておくべきだ!」と夫に言うことは出来ました。

「父親が疲れて帰ってきたのだから、騒がずおとなしくしなさい!」と、子供達を諭すこともできました。

でも私は空間を分けて、お互い無理をしない方法を選びました。

家事軽減のための模様替え

息子達も更に成長して、朝みんなが出かけた後、私の家事は、家族が点々と脱ぎ散らかした洋服を回収する事から始まります。

ある日ほとほとイヤになり考えました。

食事をしたり子供達が遊んだりする居間は和室なので押入があります。そこで、押入と近くの2畳ほどをつぶして簡易クローゼットを作りました。家族の洋服を一括管理。洗濯カゴも置きます。この部屋で身支度が全て出来るよう、鏡を置き化粧品類も収納します。

そして「自室で洋服管理が出来ない人は、洋服の脱ぎ着は必ずここですること!脱いだパジャマはカゴの中、洗濯に出す物は洗濯カゴへ。スーツや制服、コートはハンガーに掛けて。自室に置いたままの洗濯物は回収しない。たまってしまったら自分で洗濯すること!」と、家族に通達を出しました。

その日から朝、家族の洋服を拾い上げる事はなくなりました。この場合も、家族が最小限の努力で私の不満が解消されるよう、空間を変えることにしたのです。

心地よい部屋づくり

「空間の距離感は家族との心地よい距離感をつくる」

「快適な暮らしは無理のない動線にある」

と、私は思っています。

そして「やらされている感をなくし、自分の意志で決めたい。」つまり「自分を大事にして自分の声に耳を傾け、いちいち自分に折り合いをつけていきたい。」と思っています。なので、どう考えても自分で自分を納得させられない時は、何と思われようとやらない、とか、その前に相手と話し合うという選択もあります。

頑張り屋で何十年も、嫁だから妻だから、と我慢してきた人が、ついに我慢の糸がぷつんと切れて一人でアパートに引っ越しました。「伊都子さんに早くこの話を聞いていれば無理しなかったな」と言っていました。だから、みなさまにも無理をしてほしくないのです。空間や収納を変えることで、頑張らない生活が出来るかもしれない。自分の気持ちを大切にして、折り合いを付けていくことで、ある日突然ぷつりと切れてしまうのを避けることが出来るかもしれません。

私は当たり前にやってきたことが、実は当たり前ではないことを知り、仕事にしました。

みなさまが当たり前にやっていること。
本当に当たり前なのでしょうか?もしかしたら特別な才能かもしれませんね。

理論が軸になる

西洋音楽は現代の音楽の基礎になっていますよね?

日本にも雅楽や謡など特有の音楽があり、世界の国々にも、独特の民族音楽があります。でも、その中でどうして西洋の音楽が爆発的に広まったのでしょうか?
大航海時代に技術と力を持って世界へ船を漕ぎ出していったのが西洋人だったから?それもあるのでしょうね。
一つの理由として、西洋音楽はロジカルにできているから。楽譜が存在するから。それによって教育することができて、誰もが同じ音を出せるようになるんです。
日本特有の音楽は、口伝えだったり、弾き伝えだったりが多いですね。とすると、大勢の人への教育が難しくなります。
つまり、システマティックに出来ている方が広がりやすいのですね。

なので、何となくやっていても効率が上がらないことは、理論的な仕組みを作ると効率が上がります。

「ショッピングやワードローブセラピストになりたい」と夫に話すと何だかピンと来ない様子。「それって仕事として成り立つの?」「洋服を人に選んでもらいたい人っているの?」「好きなモノを着ればいいんじゃない?」
「部屋づくりや片付けなんて、自分で考えてやるものでしょ?」と言う人もいます。

なぜ今更、整理収納の理論を学ばなくてはならないのか?心地よい部屋づくりの手順を知らなくてはならないのか?カラー診断や骨格診断、顔タイプ診断をして自分の似合うを知りたくなるのか?自分の好きなようにやればいいじゃない?でも、何となくでは先に進めない場合が多いのです。多くの人に広まって行かないのです。苦手なのは私のせいと思ってしまうのです。
だから理論を知って軸を持てば、「センス」などという抽象的に思えることも、「お片付け」などという「普通出来るでしょっ?!」と思われがちだけれど、永遠のテーマになっていることも、多くの人が難しくなく身につけることが出来るようになるのです。

人それぞれ得手不得手があります。たまたま片付けは不得手でやり方も学ばなかっただけです。昔はこんなに物がありませんでしたしね。
「ファッションはセンスの問題!センスなんて感覚的な生まれ持った物だから私には無理!」これも人それぞれ得手不得手があります。たまたまファッションが不得手でやり方も学ばなかっただけです。得意な人は見ている量が違うのです。

そのために理論は必要で、それを伝えて広めて行く役割りが必要だと思うのです。軸が出来れば、その上にセンスを重ねていけばいいのです。センスはどんな人にもあります。

私の中の答え

見た目が輝き、人から褒められるとどんどん綺麗になっていきます。自信が持てると行動も変わってきます。
「人目を気にする」というのは自分が存在していない言い方です。「人からこう見られたい!」というのは自分の意志があり、自分のイメージを自分で操っています。もしかしたら気付いていないかもしれませんが、すぐそこに才能や輝きがたくさん隠れています。それを装いで表現するのです。装いは表現活動です。

探し物をすることなく、心地よい部屋ではゆったりと英気を養うことができます。人は緊張したままでは疲れてしまいます。外で輝きを放ったら、家では緊張をほぐして輝きを蓄えます。自分に優しくなると人にも優しくなります。多少の事があってもご機嫌な私でいる事ができます。

お洒落なワードローブづくりと心地よい部屋づくりには共通点がたくさんあります。カウンセリング方法、進め方の手順、コーディネートの仕方、自分を知り自分を認められるようになるところ。
明日からでも、変えようと思えば変えられる、一番変えやすい外見のお洒落と部屋づくりを両輪として「私って何が好きだったかな?」「どんなことを心地よいと感じるのかな?」「どんな印象の人になりたいのかな?」「どんなことがしたいのかな?」と自分に問いかけてみて下さい。私もずっと問いかけてきましたし、これからも問いかけると思います。

答えを導き出す方法は外に求めることはあります。でも、答えはどこからかやってくるのではなく、自分の中にあります。
自分の事を意識の上で認識しているのはほんの数パーセントだそうですよ。残りは意識下にあるそうです。

この話をしたら、「だったら九十何%はまだ可能性があるって言うことね?」と言った方がいます。
そうですね。
自分が気付いていない魅力。気付いていない才能やセンス。それに気付くとより魅力的な未来が開けそうですよね。

私はもやもやして自分探しを始めました。そのうちに点々としていた物が線に繋がるんだなぁとつくづく感じています。
やって無駄だった事なんてありませんでした。

そんな体験と学んで得た知識と培ってきた感性を持って「大人のお洒落と心躍る暮らしをスタイリングするマチュアスタイリスト」として、自分の中にある答えに気付くお手伝いをしていきたいと思います。

10年歳を重ねても「今が好き」と言える10年後を思って一緒に心躍らせましょう!

大人のお洒落と心躍る暮らしをスタイリングするマチュアスタイリスト

黒滝伊都子